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(紹介)『東京の「教育改革」は何をもたらしたか--元都立高校長の体験から』(下)

2011-11-21 | 大阪「教育基本条例」

(紹介)『東京の「教育改革」は何をもたらしたか--元都立高校長の体験から』(下)
(渡部謙一著 高文研 2011年9月)

「この生徒はダメだと言ったとき、その教師はすでにダメになっているんだ!」

 一般に学校教育に対する世間の目は厳しいし、「問題教員」に対してバッシングがあおられます。そのいわゆる「問題教員」についても、渡部さんは次のように考えています。

 「問題を持つ教員はどの学校にでもいるが、一人の教師のあり様はその教師集団の有様と切り離せない、その教師の問題を通してみんなが変わっていく中で当人も変わっていくのだ」とし、「問題教師」を個人の責任として切り捨てたりクレームの対象としていくのではなく、教師集団の中で互いに学びあい育っていくことが大事だとしています。
 このような著者の考えの底には、若い頃、保護者や生徒に対する対応の失敗や、先輩教師による叱責などによって自分自身が教師として成長することができたという思いがありました。

 渡部さんは、先輩教師が言った「この生徒はダメだと言ったとき、その教師はすでにダメになっているんだ!」という言葉を「生涯の宝」として大切にしています。渡部さんが新任の時「ここの生徒はダメだ」と言ったのに対して、先輩が厳しく叱責した言葉でした。自分自身が「ダメ教師」だったというのです。
 また渡辺さんは、校長が教育者として一般の教員よりも優れているという訳ではないと言い、あくまで「集団的営みとしての教育」を強調し、校長も教職員や生徒によって育てられていくという謙虚さ貫いています。

教師のがんばりへの厚い信頼  

 筆者は38年間の教師生活で大事にしてきたものとして以下の3点あげています。
○「人間はひとりひとり皆違う、だから一人一人が皆尊い」
○「議論無くして活力なし、納得なくして意欲なし、信頼無くして指導なし、尊敬無くして管理なし」
 徹底した議論の中から活力が生まれる。ものを考えるな、意見を言うなということでどうして活力が生まれるか、命令と強制による異論の排除は民主主義の否定だ。
○「生徒のことは生徒の中に入って学ぶ。親のことは親の中に入って学ぶ。地域のことは地域に入って学ぶ」
 つまり教育のことは教師に聞け。そして生徒、親、地域のことを知るためにはその中に直接入っていくという現場主義を貫く。

 このような脈絡で「民主主義を教える教師たちは何よりもまず自らの集団を民主的集団にしていくことが求められている。学校は民主主義を語るのではなく、自ら実践する場でなくてはならない」と教師自身が民主主義の擁護者となり、教育の場でそれを実践することの大切さを訴えるのはとても重いです。

   このことを、
「一人の優れた教師より、協働する全教職員集団を」
 という言葉で表現します。

 著者は東京の教育改革について厳しく批判したのち以下のように締めくくります。
 「教育の条理とかけ離れた管理と統制の東京の「教育改革」のもとでもそれほどには学校や教育が破壊されていないのは、教師たちのがんばりがあるからである。
 世界一過重な労働を強いられ、しかもその労働時間のうち授業以外の勤務が七割という最悪の条件の下、学校現場で毎日生徒のためにがんばっている教師がいるという事実、この事実にこそ私たちの希望がある。教師が悪いから教育がよくならないと最前線で苦闘している教師たちを攻撃してどうして教育を改革することなどできるだろうか」

 この本を読んで、東京都教育委員会の悪辣さは群を抜いていると思いました。東京都は知事が乗り出すまでもなく、教育委員会の権力でいくところまでいったのではないかとさえ思えます。一方で大阪府教育委員会も様々な攻撃をかけてきていますが、まだ超えてはならない一線を理解しているのではないか、だからこそ右翼の知事が直接乗り出してきたのではないかとも思いました。
 大阪府教育基本条例は、東京都教育委員会が学校現場に押しつけている、まさに民主主義破壊の内容なのです。

(ハンマー)


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